そんな些細な生きがいが

 

去年に引き続き、25最最後の言葉。

 

先に言っておく、もっと早く書いておけばよかった、後半ATで負けるの、悔しさしか残らない。

 

でも、25歳の一年は悔しい気持ちたくさん感じたからちょうどいいのかな。

珍しいと思う、あまり悔しいと思う事がなく生きてきたと思う。負けず嫌いの要素なんてほぼない。よく言えば勝てない勝負はしない。悪く言えば、勝つために必死になった事がない、だから悔しくもない。

 

毎週、勝ちも負けも決まるような、わたしが優勝って言ったら優勝、みたいなアイドルの世界とは違って、明確に勝ち負けがあって、数字で順位が決まって、そういう世界の人たちを応援するようになって、こんな悔しいんかって。わたしが悔しがっても何も変わらない、それがめちゃくちゃ悔しい。

でも、だから、勝ったら嬉しいんだよね。というか、みんながニコニコしてると嬉しい、それはなんでかって、勝ったから。みんなが萎んだ顔してると悲しい。それは負けたから。だから悔しい。

 

でも、そうやって気持ちの幅が増えて、相変わらずこんな張り合いのない日々の中でも、少しは、彩りになっているのかな。去年、誰にも会えない、どこにも行けない日々が始まった時は、嬉しいも悲しいもいつかわからなくなるんじゃないかって、結構リアルに不安だったんだけれど、そんなことなく元気にやっています。楽しいも嬉しいも、悔しいも悲しいも、たくさん感じて、何もできない無力さも、ただ受け入れるしかない虚しさも、またわかる事が増えた。こういうのが人生なんだなーって達観した気持ちにもたまになる。そういうのが大人って事なのかな。ちゃんと大人になってんのかな。

 

自分が想像していた26歳、それがどんなだったかももう覚えてないくらい、そのくらい、小さい頃にイメージしていた大人とは違う。それでも、毎日生きてる。仕事して、ご飯食べて、お風呂入って寝る。できてる。できてない日もあるけど。一応。そんくらいでいい、そんくらいもできないことも、割とすぐ想像できる自分が、できてる。だから大丈夫。

明日からも、生きていく。毎日がある。

 

やりたいことやる、行きたいとこ行く、それが叶わない、許されないこともまだまだたくさんあるだろうけど、折り合いをつけながらでも、毎日がある。それで十分。人生のうちの何千分のいくつかの日。

 

お誕生日おめでとうわたし。25年間がんばりました。明日からも、また、生きていこう。